横陣

Bonjour, monsieur

前回紹介したカンナエの戦いでは、ローマ、ハンニバルともに横陣をしいていた。

横陣・・・横に長い陣のこと。縦の厚みが薄いため、陣を割られて後背に回り込まれる可能性は高かった。しかし、遊軍は少なくなるためその軍の最大火力を敵にぶつけることができる。ようは、間を割られなければ最強、ということだ。

 

横陣を最適に使ったのは前回も扱ったハンニバルだ。カンナエのほかにもトレビアの戦いで横陣の有効性を証明している。

 

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トレビアの戦い

彼はローマ軍を少数の騎兵で陣地を襲撃することにより、対岸へと誘引し、騎兵を使った包囲戦を展開した。彼の歩兵では川を渡ったことで疲れ切っているローマ歩兵ですら殲滅するには力不足だった。そのため、歩兵が押し込まれてもその状態を包囲につなげるために両サイドの騎兵部隊を使った。横陣から縦深陣に陣形を変化しつつ敵を包み込むように包囲をする、現在ですらたびたび小説などに登場するお手本ともいうべき戦術を彼は生み出した。

Bonne jornee

ハンニバル・バルカ

Bonjour, monsieur

今回は包囲殲滅戦の天才、ハンニバル・バルカを紹介したいと思う。「バル神の申し子」という意味のハンニバル古代ローマ帝国を最も苦しめた男として名高い天才です。第二次ポエニ戦争、またの名をハンニバル戦争その名の通りローマvsハンニバルといっても過言ではありません。それほどの天才ということです。彼はアルプス山脈を越えてイタリア半島に侵入し、その後10年以上にわたってローマを苦しめることになる。そんな彼が残した最高の包囲殲滅戦がカンナエの戦いだ。

紀元前216年に起こったもので、ハンニバル軍はローマ軍よりも少ない兵力しかもっていなかった。それにもかかわらず彼は包囲殲滅することを選んだ。

カルタゴ:歩兵40000

     騎兵10000

ローマ: 歩兵64000

     騎兵6000

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カンナエの戦い

はじめ彼は軍の中央部を膨らませた。これはローマ軍の重装歩兵がとても強く、彼の率いている傭兵軍団では太刀打ちできないと考えたためだ。膨らませることによって敵軍が自軍歩兵を割って後ろに回られるまでの時間を稼ごうとした。そして、自軍の有利な騎兵が敵の騎兵を打ち破って、ローマ歩兵の後ろから攻撃を加えてくれるのを待とうとした。

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カンナエの戦い 騎兵の帰還

結果として、彼の子飼いともいえるヌメディア騎兵はローマ騎兵を打ち破りローマ重装歩兵の後背を攻撃することに成功した。ローマ軍は死傷者60000、捕虜10000という、文字の通り全滅を喫した。

なぜ彼が少ない兵力でローマ軍を殲滅できたのか。それにはいくつかの要因がある。まず、騎兵においては彼のほうがローマよりも優勢だったこと。これにより彼は荒廃から攻撃を仕掛けることができた。もし、騎兵戦力が拮抗していれば完全殲滅はおろか負けていたとすら考えられる。第二に当時の戦い方として、密集した陣形でもって敵を押しまくるというのが主な戦法だった。そのため、さらに周りから圧力をかけられて、より密集してしまうと、県を鞘から抜くのさえできなくなってしまうほどの混雑状態になってしまうのではと考えられる。結果、戦うことさえままならず外側にいた兵から殺されていくということが起こったと思われる。

御覧のようにハンニバルというのは天才と呼ぶにふさわし将だった。彼にかわいそうなところが一つあるとすれば、自らの弟子ともいえるアフリカヌスと直接対決をしてしまったところにあるといえる。それもアフリカヌスの騎兵戦力の有利な状況で。こうして彼の偉大なイタリア侵攻も幕引きとなり、地中海世界はローマ一強の時代になっていった。

Bonne journee

外線作戦と内戦作戦

Bonjour, monshieur

前回扱った内戦作戦は言葉を換えれば二正面作戦ということ。よほど自分の軍に自信がない限り、自ら進んで行う作戦ではない。二正面作戦を行った例として、わかりやすいのは両大戦でのドイツだ。一次大戦のドイツはオーハンに巻き込まれたわけだし、二次大戦もわかっていたとはいえフランスから宣戦布告してきている。そういう意味ではポーランドを倒し、返す刀でベネルクス、フランスを倒したのは内戦作戦の成功例といえる。

 

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フランス戦

ただし、フランス戦で見れば外線作戦を展開したといえる。ポーランドとフランス、それにマジノ線を足すとドイツ軍よりも戦力は上回るが、ベネルクスとフランスだけではドイツ軍の敵ではないということだ。

ほかの内戦作戦の成功例としては、第三次中東戦争イスラエルだ。エジプト、シリアから戦争を仕掛けられた。イスラエルも軍は整っているが、両国から挟み撃ちにされては負けることは必至だ。

 

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第三次中東戦争シナイ半島

このように、イスラエルはまず第一の正面であるシナイ半島のエジプト軍をスエズ運河を使うことで包囲殲滅し、エジプトと単独講和する。次に第二の正面のゴラン高原に全軍を転身させ、シリア軍をたたいた。わずか6日で終わった戦争だった。精強なイスラエル機甲軍団あってこその作戦でこれ以上なくきれいに終わった戦争といえる。

ドイツとイスラエルの二つの例を見てわかるように、内戦作戦とは一方では少数で防衛しつつもう一方には敵よりも強大な戦力でもってこれを撃破する作戦だ。つまり、数的優位を一方で作り、その兵力を持って外線作戦を展開する。要は初めから外線作戦が展開できれば苦労はしないという作戦なのだ。どちらが優れているかといえば当然外線作戦だ。敵の三倍の兵力で平原で外線作戦をすればまず負けることはない。

ただし、防衛と攻撃をきれいに組み合わせた内戦作戦のほうがオシャレであることは確かである。

Bonne jornee